保険は損か得か ― 期待値マイナスでも人が買う理由


動画版(約6分半)。急いでいる方はまずこちらでもOK。

前回(300円で夢を買う人へ)は宝くじを”確率のレンズ”で見て、「期待値マイナスなら基本的に買うべきでない」という話をしました。

今回は逆側の話です。期待値マイナスでも、買った方がいい賭け があります。それが 保険 です。

しかも驚くべきことに、保険会社の還元率は宝くじとほとんど変わりません。それでも合理的に買える。この一見不思議な事実を、W1 と同じレンズで解いていきます。


L1|保険料の半分は”胴元料”だった

保険会社の還元率 ― 契約者が払った保険料のうち、支払保険金として戻ってくる割合 ― は、業界統計を見るとおおよそ次のようになっています。

種類還元率(支払保険金 ÷ 収入保険料)
損害保険(自動車・火災・対人など)約 50-60%
生命保険(死亡・医療・年金など)約 40-50%
参考:年末ジャンボ宝くじ約 46%

つまり 保険料の半分ほどは”胴元料”として保険会社に取られている。数字だけ見れば宝くじと大差ありません。

なのに、真面目な家計本には「火災保険は必須」「対人対物は無制限で」と書いてある。宝くじは”愚か者の税金”と嘲笑されるのに、なぜ保険はそう言われないのでしょうか。


L2|それでも合理的に買える理由 ― 期待効用の再登場

W1 で紹介した 対数効用 u(w)=log⁡(w)u(w) = \log(w) をもう一度使います。

「お金の効用は金額に比例しない」というあの考え方が、保険という商品を数学的に正当化します。

破滅コーナーの傾き

対数効用のグラフは、資産がゼロに近づくと急激に下に落ち込みます。数式で言えば log⁡(0)=−∞\log(0) = -\infty ― つまり “全財産を失う” は数学的に定義不能な地獄 です。

具体例で考えてみましょう。

  • 資産 1,000 万円の人が、5,000 万円の家を失う:差し引き −4,000 万円。対数効用は計算不能。人生の破滅。
  • 同じ人が、年 3 万円の火災保険料を払う:対数効用の減少はほぼゼロ。

破滅の側の”落差”が、保険料の”痛み”を桁違いに上回っている。だから期待効用は増える。数式で書くと:

E[U(W−P)]  >  (1−p) U(W)+p U(W−L)E[U(W - P)] \;>\; (1-p) \, U(W) + p \, U(W - L)

(WW = 現在の資産、PP = 保険料、LL = 想定損失、pp = 事故発生確率)

左辺は「保険料を毎年払う世界」、右辺は「保険を買わず、確率 pp で破滅する世界」。この不等式が成り立つとき、期待金額はマイナスでも期待効用はプラスになり、保険を買う方が合理的です。

一言まとめ:期待”金額”はマイナスでも、期待”効用”はプラスにできる ― これが保険の数学的正体。保険とは、破滅の可能性を有限コストで切り取る取引 です。


L3|保険会社側から見た “ギャンブルではない” 構造

個人にとって保険は「起こるか起こらないか分からない事故」に賭ける行為です。ところが保険会社から見ると、まったく別の顔をしています。

同じ賭けが、片方にはギャンブル、片方には確定事業

  • 個人側:一生に一度あるかないかの事故。起きれば全財産、起きなければゼロ。分散が最大。
  • 保険会社側:数十万〜数百万人の被保険者を抱えている。事故発生率は統計的にほぼ固定。総支払額は法則で決まる。

これは W1 の L3 で見た 大数の法則 の裏側です。回数(=被保険者数)を増やすと、実現値は理論値に張り付く。分散はどんどん細くなる。

つまり保険会社は、個人が担いきれないリスクを集約して “確率” を “確定” に変換する装置 です。W1 で「ケリー基準の答えは”売り手側に回れ”」と書きました。保険会社はまさに、その”売り手側”に回っているわけです。

なぜ保険会社は”潰れる”ことがあるのか

大数の法則が働くのは「独立した多数のリスク」を前提とします。次のような場合、この前提が崩れて保険会社は破綻します。

  • 想定を超える集中損失:首都直下地震で数百万件の火災保険が同時発火
  • ロングテール事象:アスベスト訴訟のように、契約後 30 年経って請求が湧いてくる
  • 再保険の連鎖破綻:ある巨大災害でリスクを引き取っていた再保険会社が飛ぶと、下流の保険会社もまとめて飛ぶ

保険は「独立性」と「大数」という数学的仮定に立って成立するビジネス ― 仮定が崩れる状況では、それ自身が破綻の主犯になります。


L4|買うべき保険 vs 買うべきでない保険

期待効用の枠組みから、“買うべき保険”の性質が導けます。

買うべき = 低頻度・巨大損失

  • 火災保険(持ち家) ― 一生に一度、しかし全損すれば数千万円
  • 対人・対物賠償(自動車) ― 事故を起こす確率は低いが、億単位の賠償が現実にありうる
  • 生命保険(子育て世代の稼ぎ手) ― 遺族の生活を数十年支える必要がある
  • 就業不能保険 ― 長期の傷病で収入が絶える破滅シナリオ

いずれも「起きたら破滅、起きなければゼロ」型 ― 対数効用が最も強く働くゾーンです。

買うべきでない = 高頻度・小損失

  • 家電の延長保証 ― 想定損失は数万円、修理費用も貯金でカバーできる
  • スマホ保険 ― 買い替えの現実的コストは 10 万円前後
  • 格安旅行傷害保険 ― カード付帯で足りることが多い
  • ペット保険 ― 加入するなら重篤ケースに絞った補償を選ぶ

これらは「起きても痛いけど破滅ではない」型 ― 保険料 × 加入年数の総額が、実際の期待損失を超えがちです。

シンプルな判断ルール

その損失を貯金で払えるか?

  • YES → 保険不要(自己保険で足りる)
  • NO → 保険が必要(破滅を切り取る)

具体例:AppleCare+ は買うべきか

MacBook Pro 30 万円、AppleCare+ 3 年で 3.5 万円としましょう。3 年間で修理が必要になる確率をやや高めに 20%、修理費用の期待値を 5 万円と置くと:

期待損失  =  0.20×5万円  =  1万円\text{期待損失} \;=\; 0.20 \times 5\text{万円} \;=\; 1\text{万円}

保険料 3.5 万円 ÷ 期待損失 1 万円 = 3.5 倍。しかも修理費用 5 万円は貯金で払える範囲。したがって AppleCare+ は 買わない側 に倒れます。もちろん「壊すリスクが高い環境」(小さな子どもが触る、頻繁に持ち運ぶ)なら pp を上げてください。式に代入し直せば、いつ買うべきかが自然に決まります。


L5|保険料の内訳 = 純保険料 + 付加保険料 = ハウスエッジ

保険料を分解すると、実は宝くじやカジノと同じ二段構造になっています。

保険料  =  純保険料⏟期待支払額  +  付加保険料⏟経費 + 利益 + リスクバッファ\text{保険料} \;=\; \underbrace{\text{純保険料}}_{\text{期待支払額}} \;+\; \underbrace{\text{付加保険料}}_{\text{経費 + 利益 + リスクバッファ}}
  • 純保険料:契約者に返る”公平な”部分。これだけなら期待値ゼロ。
  • 付加保険料:保険会社の経費、代理店手数料、利益、想定外への備え。これがハウスエッジ。

業界のオーダー感として、付加保険料率(対保険料)はおおよそ次のような水準です。

種類付加保険料率の目安
自動車保険30-40%
医療保険40-50%
生命保険(定期)20-30%
生命保険(貯蓄型・外貨建・変額)50% 超 ― 隠れコスト大

貯蓄型・変額型の生命保険の付加保険料率が突出しているのが目立ちます。「保険で資産形成」と謳う商品ほど、契約者に返るのは半分以下 ― W1 の年末ジャンボと同じ水準の”取り分”が乗っているわけです。

パンチライン:保険は”合理的ハウス”、宝くじは”非合理ハウス”。同じハウスエッジ率でも、片方は破滅を切り取り、片方は夢を売っている。


L6|リスク移転市場の広がり(研究者コラム)

保険を「リスクを他者に移転する取引」と定義し直すと、まったく違う風景が見えてきます。

金融デリバティブは、実は同じ言語

  • 先物・オプション:将来の価格変動リスクを他者に移す
  • クレジット・デフォルト・スワップ(CDS):企業のデフォルト(倒産)リスクを他者に移す
  • キャットボンド(CAT ボンド):大災害リスクを債券化して機関投資家に売り、災害発生時は元本が消える

これらはすべて「確率的な将来キャッシュフロー」を売買する市場 ― 保険と本質は変わりません。

再保険と規制

  • 再保険(Reinsurance):保険会社自身が別の保険会社にリスクを移す。個人 → 保険会社 → 再保険会社と、リスクは段階的に希釈されていく。
  • Solvency II(欧州保険規制) と Basel III(銀行資本規制) は、実はほとんど同じ思想 ― 「引き受けたリスク量に応じて、それを吸収できるだけの自己資本を持て」。

学術文献(W1 と同じルール:既発表のみ)

  • Froot (2001) “The Market for Catastrophe Risk: A Clinical Examination” (Journal of Financial Economics) ― CAT ボンド市場の実証古典。「なぜ大災害リスクは効率的に価格付けされないのか」を丁寧に解く。
  • Cummins & Weiss (2009) “Convergence of Insurance and Financial Markets” ― 保険と金融の融合を俯瞰する review 論文。制度・商品・数学の三面で並べてくれる。
  • Kunreuther, Meyer & Michel-Kerjan (2013) The Ostrich Paradox: Why We Underprepare for Disasters ― 一般読者にも読める行動経済学寄りの書籍。「なぜ人は起きるとわかっている災害に備えないのか」を実証で語る。
  • Taleb『ブラック・スワン』 ― 保険と金融が同じ盲点を持つことを主張。特に「fat tail の分布に正規分布モデルを当てる危険」の章は必読。

一般読者に持ち帰ってほしいこと

  • 保険は”ギャンブル”ではなく 確率の商品。期待効用の増分だけが判断基準
  • 保険と金融デリバティブは同じ言語(=確率)で書かれた道具
  • 独立性と大数の法則が崩れる状況では、保険自体が破滅の増幅装置になりうる

おわりに

前回の宝くじと今回の保険は、両方とも「期待値マイナス」の賭けでした。それでも数学の答えは正反対です。

宝くじ(W1)保険(W2)
期待値−54%−40〜50%
期待効用ほぼ変わらず(少額なら)プラスにできる(適切な範囲で)
買う理由夢代破滅の切り取り

宝くじが”夢を買う賭け”なら、保険は “破滅を売る賭け” です。同じ数学が、賭け金の使い先次第で真逆の答えを出す ― この非対称性こそが確率のレンズの面白いところ。

次の週は モンティ・ホール問題 を扱います。今度は「金額の話」から離れて、確率的な直感がどう壊れるか の話。「3 つのドアから 1 つを選び、司会者が別のドアを開けて…」あの古典的パズル、あなたの直感は今も間違っています。