Last updated on

住宅ローン ─ 変動 vs 固定の数学


動画版(約7分)。急いでいる方はまずこちらでもOK。

W1 宝くじ と W2 保険 に続き、再び お金 の話に戻ります。今回のテーマは 住宅ローン。「変動と固定、どちらを選ぶべきか」という、人生で一番大きな確率の賭け。

2026 年 10 月現在、ネット銀行の変動金利は 約 1.0%、35 年固定(フラット35)は 約 3.0%。差は 2.0%。3000 万円のローンなら、金利 2.0% の差は 35 年で 約 1,300 万円 にもなります。

この数字だけ見れば、変動が圧勝です。しかし 2026 年、日銀が 31 年ぶりに利上げ局面に入り、変動金利はすでに ゼロ金利時代の 0.3-0.4% から 1% 台に乗りました。「変動が明らかに得」という常識は、更新のタイミングに来ています。本当に変動を選ぶべきか ─ 期待値、分散、そして オプション理論 の目で解き直します。


L1|数字を並べる

項目変動金利35年固定(フラット35)
金利(2026-10 時点)約 1.0%約 3.0%
月々返済(3000万・35年)約 8.5 万円約 11.5 万円
総返済額(35年)約 3,558 万円約 4,849 万円
差額—約 1,300 万円
※数字は 2026 年 10 月時点の目安(主要ネット銀行の変動金利の中央値、フラット35の長期金利適用)。実際の見積もりは フラット35 公式 や モゲチェック 等で最新金利を確認してください。

数字だけ見れば 変動の圧勝。これが「変動が得」常識の正体です。しかし、この差額には 決定的な前提 があります。

変動金利が 35 年間、約 1.0% のまま動かない という前提

実際にはそんなことはありえません。35 年の間に、金利は上がりもすれば、下がりもする。変動の “差額 1,300 万円” は “もし運が良ければ” の最大値であって、期待値ではない のです。


L2|変動は「オプション売り」、固定は「オプション買い」

住宅ローンの選択は、実は 金融工学の典型的な取引構造 を素人が自然にやっていることだ、と気付くと視点が変わります。

変動金利を選ぶ = 金利上昇オプションを “売る”

  • 低い金利でローンを組む代わりに、「金利が上昇したら上がる」というリスクを借り手が引き受ける
  • 保険の売り手と似た立場:平時の低金利は “保険料” として受け取り、金利上昇時に “支払い” が発生する

固定金利を選ぶ = 金利上昇オプションを “買う”

  • 2.0% のプレミアム(金利差)を払う代わりに、金利上昇リスクを銀行に移転
  • W2 の保険と同じ構造:期待値マイナスでも、破滅シナリオを有限コストで切り取る

期待値だけで判断すると変動が有利、分散では固定が有利

  • 期待値:長期の平均金利が 3% 未満なら変動の勝ち、3% 超なら固定の勝ち
  • 分散:変動は結果の幅が大きい(1% で済むシナリオと、5% 超に跳ねるシナリオの両極端)
  • 分散を気にする理由:W1-W2 で見た通り、資産に対する比率 が大きい意思決定ほど、分散(破綻リスク)が効いてくる

一言まとめ:変動と固定の選択は、「期待値 vs 破綻リスク」のトレードオフ。保険を買うかどうかと、本質的に同じ構造です。


L3|シミュレーションで比較する

3000 万円・35 年ローンを、3 つの金利シナリオで走らせてみます。

シナリオ A:金利が 35 年間動かない(変動 1.0% のまま)

  • 変動:総返済額 約 3,558 万、月々 8.5 万
  • 固定:総返済額 約 4,849 万、月々 11.5 万
  • 差:変動が 約 1,300 万円 得

シナリオ B:10 年後に段階的利上げ、変動が 3.5% まで上昇

  • 変動:11 年目から月々返済が約 11.2 万 に跳ね上がる、総返済額 約 4,390 万
  • 固定:月々 11.5 万のまま、総返済額 約 4,849 万
  • 差:変動がまだ 約 460 万円 得(しかし月々の家計インパクトはそれなり)

シナリオ C:10 年後に急激な利上げ、変動が 5.5% まで上昇

  • 変動:月々返済が約 13.8 万 に跳ね上がる、総返済額 約 5,150 万
  • 固定:月々 11.5 万のまま、総返済額 約 4,849 万
  • 差:固定が 約 300 万円 得(そして月々の家計インパクト大)

平均と分散、両方見る

過去 35 年の日本の変動金利を眺めると:

  • バブル期(1990 年前後):8% 超
  • 2000 年代:1-2% 台
  • 2010 年代:1% 未満
  • 2020 年代前半:0.3-0.5% 台
  • 2024-2026 年:31 年ぶり利上げ局面、1.0% 台まで上昇

35 年後の金利は、誰にも分からない。シナリオ A は “過去 10 年の延長”、C は “過去 35 年の延長”。どちらが起きるか が、変動を選ぶべきか固定を選ぶべきか、を決めます。


L4|買うべき判断軸は「金利ショックに耐えられるか」

W2 の保険回で使った判断軸と、まったく同じフレームが使えます。

その金利ショックを、貯蓄で払えるか?

  • YES → 変動でよい(自己保険で足りる、“オプション売り” のプレミアムを享受)
  • NO → 固定にすべき(破滅シナリオを有限コストで切り取る)

具体的な判断

家計の状態推奨
年収 1500 万、貯蓄 1500 万、月々返済が 13.8 万に跳ねても余裕変動(期待値を取りに行く)
年収 500 万、貯蓄 100 万、月々返済が 13.8 万に跳ねたら家計崩壊固定(破滅を切り取る)
中間層ミックス(半分変動・半分固定、分散を取る)

日本の住宅ローン特有の “緩和装置”

  • 5 年ルール:変動金利でも、月々返済額は 5 年ごとにしか見直されない
  • 125% ルール:見直し後の返済額も、見直し前の 125% が上限
  • → 短期の激変にはクッションがある。ただし 払いきれない利息が元本に積み上がる リスクあり(未払利息、残債増加)

AppleCare+ の計算と同じ

W2 で AppleCare+ を “保険料 ÷ 期待損失 = 3.5 倍、だから買わない” と計算しました。住宅ローンの固定金利も同じ比率計算ができます:

  • 固定の “追加プレミアム” = 約 1,300 万円(35 年合計)
  • 期待損失 = ?(金利シナリオの確率分布次第)
  • プレミアム ÷ 期待損失 が 1.5 倍以下 なら、固定を買う合理性あり

L5|住宅ローンの “ハウスエッジ” を分解する

W1 でも W2 でも扱った ハウスエッジ が、住宅ローンにも存在します。

金利 = 純金利 + 付加金利 = ハウスエッジ

  • 純金利:銀行の調達コスト(短期金利 or 長期国債利回り)+ デフォルトリスクへの備え
  • 付加金利:銀行の経費、利益、諸費用

業態別の付加金利

業態付加金利の目安
ネット銀行0.2 - 0.4%
メガバンク0.5 - 0.8%
地方銀行0.8 - 1.2%
ノンバンク(提携ローン)1.2% 超

隠れたオプション

住宅ローンには、金利そのもの以外にもオプション構造が組み込まれています。

  • 繰上返済権(借り手のコールオプション):元本を前倒しで返す権利、ほとんどのネット銀行は 手数料無料
  • 借換権:他行への借換(事実上の “リファイナンス”)、諸費用 50-100 万かかるが、金利差が 0.5% あれば元が取れる
  • 期限前解約:ごく一部の商品にのみ違約金あり、通常は無料

これらのオプションを “いつ、どう行使するか” で、最終的な総支払額は数百万単位で変わります。

ポイント:住宅ローンは “シンプルな借金” ではなく、複数のオプションを含む複合金融商品。選ぶ時点で勝負は半分、残り半分は 35 年の運用で決まる。


L6|マクロ経済と金利サイクル(研究者コラム)

住宅ローンの変動 vs 固定を本気で考えるなら、金利サイクルの構造を知る必要があります。

過去 35 年の日本の金利

時期変動金利の水準マクロ環境
1990 年前後8% 超バブル経済、公定歩合 6%
1995-2000 年2-3% 台不況、金融危機
2000-2010 年2% 前後ゼロ金利政策、量的緩和
2013-2023 年1% 未満(0.3-0.5% 台)異次元緩和、マイナス金利
2024-2026 年1.0% 前後31 年ぶり利上げ局面

約 10-15 年の周期で金利サイクルが回っている。35 年ローンは、少なくとも 2-3 回のサイクルを跨ぎます。

金利の予測可能性

ここで学術的に重要な事実:短期金利の方向は、ある程度予測可能 です。中央銀行は “政策金利の見通し” を事前にアナウンスし(フォワードガイダンス)、市場はそれを織り込んで動く。

  • オーバーナイト・インデックス・スワップ(OIS)市場:市場参加者が織り込む将来の政策金利が、価格として観察可能
  • イールドカーブの傾き:短期と長期の金利差から、市場が織り込む利上げ・利下げ期待が読める

変動金利を選ぶ借り手は、知らず知らずのうちに “OIS 市場より自分が正しい” に賭けている のです。

学術文献(既発表のみ)

  • Vasicek (1977) “An Equilibrium Characterization of the Term Structure” ─ 金利期間構造の古典モデル
  • Longstaff & Schwartz (2001) “Valuing American Options by Simulation” ─ 繰上返済権の評価に使われる手法
  • Deng, Quigley & Van Order (2000) “Mortgage Terminations, Heterogeneity and the Exercise of Mortgage Options” (Econometrica) ─ 住宅ローンの早期終了オプションを実データで実証
  • 植田和男(2005) 『ゼロ金利との闘い』 ─ 日本の金融政策の内幕、一般書
  • 白川方明(2018) 『中央銀行』 ─ 日銀元総裁による金融政策の深い解説

一般読者に持ち帰ってほしいこと

  • 変動 vs 固定は、金利予測ゲームではなく、自分の家計の分散耐性ゲーム
  • 固定の 2.0% プレミアムは、“35 年の金利上昇リスク保険” の値段
  • 金利サイクルは 10-15 年、35 年ローンは必ずサイクルを跨ぐ ─ “今の低金利が続く” 仮定は数学的に危険

おわりに

300 円の宝くじ(W1)、年 3 万円の火災保険(W2)、そして 1,300 万円の金利差を抱える住宅ローン(W5)─ 金額のスケールは違っても、全部同じ “確率のレンズ” で見られることが分かってきたと思います。

共通する判断軸:

その破滅シナリオを、自分の資産で払えるか? 払えないなら、プレミアムを払って切り取る。

住宅ローンの場合、“破滅シナリオ” は 10 年後に変動金利が 5.5% に跳ねたときの月々 13.8 万円の返済です。これを払いきれないなら、固定を選ぶべき。払えるなら、変動のプレミアムを取りに行っていい。

次の週は W6:インデックス投資は本当に”つみたてれば勝つ”のか を予定しています。長期・分散・積立の「新・資本主義のドグマ」を、確率と期待値のレンズで解剖する回です。